ひとりにひとりの主治医ならぬ主治(?)カウンセラーを、あるいは一家にひとりはホームカウンセラーを持つべきだ、と本気で思っている。
カウンセラーと呼ぶか、コーチなのか、セラピストになるかは、場合に応じて、また好みや性格に応じて、いろいろあると思うが、なにかの問題について自分と一緒に考えてくれる人を持っておくべきだと強く訴えたい!
落語の時代はきっと、お寺の和尚さんとか近所のご隠居などが「なんでも相談室」だったのだろう。そこでは家族内でのもめ事も、近所のトラブルも、個人的なココロの悩みも、何でも打ち明けて気持ちを落ち着けることができ、なんらかの解決策も見つかったのかもしれない。八っあんや熊さんが現代人のように「生きる意味を知りたい」とか「希死感にとらわれて」とかいう悩みに苦しんでいたとはあまり思えないけど、それでも彼らは、家族以外に相談できる相手を持つことで、自分の立ち位置や進む方向を確認できていたに違いない。
一方、自分の存在価値に自信が持てなかったり、見極めの付かない不安にさいなまれたりしている現代人には、和尚さんもご隠居もいない。お寺とのつながりは墓参りの時くらいだろうし(お葬式に出るとき位というひとも多かろう)、近所のお年寄りとつきあいがある人なんて都会ではどのくらいいるものか。
そのかわり、といってはなんだが、プロの相談相手がいる。公私の資格者がさまざまな悩みに答える用意をしている。ただ、和尚さんやご隠居のように「その節はお世話になりました」とお茶菓子や畑の野菜を届ければいいわけではなくて、それなりの対価を用意しなくてはならない。
専門知識や技能をもつ医者・弁護士といったプロに相談する際にお金がかかる、というのはまあいたしかたなし、とするのだが、ココロの不安を聴いてもらうために、カウンセラーだのセラピストだのヒーラーだのに、時間何千円〜何万円ものお金を支払うのはどうなのよ,という気になるのはわからないではない。
人の話を「聴く」という簡単なようにみえる作業が、実は非常に高いスキルとエネルギーを必要とするのだということ、何より言葉の後ろのココロを取り扱う非常にデリケートな空間を共有することになるのだということの対価としたら、けして高価ばかりはいえないと思うのだが。
15歳〜44歳の死亡原因の40%が「自殺」という時代なのだから、「ココロを整える」というのが髪や爪を整えるのと同じくらいに、関心を払われなくてはいけない。ココロが世界を変える、のだから。
ただ、もうすこしチョイスがあっても良いかな、と思う。
地元の美容院に行くか、青山あたりのヘアメイクサロンに行くかは、好みや状況によってわかれるだろう。急に着物の着付けと和髪をお願いしてやってもらえるのは街の美容院のオバチャンかもしれないけど、会社の広報部が企画するような大きなパーティに行く前には青山のサロンでメークしてもらう方がきっといい。
誰かに力を借りてココロを整える、ということがもっともっとフツーのことになって、美容院やネイルサロンくらいに街中に「ココロ整え所」ができたらいいのに。ちょっと凹んだ時、誰かとケンカした時にはそこに入る。話をがっつり聴いてもらうことができるし、希望すればマッサージとかカードリーディングも。法律などの専門の知識が必要ならそのプロを、自分では気付かないココロの奥のものが見つかれば病院や臨床心理士さんを紹介してもらえる…。
そんな妄想を抱いている。
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不登校生とママのお手伝いをしたいと思っています
ママは不登校生ママのお茶会でリラックスと情報収集
こどもは学校ギライの寺子屋で勉強の楽しさを味わう。
ママも家族もシアワセになる方法を考えるデリバリーカウンセリング・コーチングを♪
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